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聖書の矛盾

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聖書の矛盾‐多くの懐疑主義者たちの障壁
聖書に関しての矛盾--今日の聖書に関しての解釈は間違った主張と誤解で満ちていて、多くの懐疑主義者たちの大きな知的防護となっています。多くの批評家たちが聖書を否定するとき、驚くほど沢山の矛盾について“リスト”を挙げます、しかし彼ら自身は聖書を読んだことがありません。もちろん、もし聖書に間違いが含まれているなら、それらは神からのものではないと明白にされるでしょう。しかし、彼らが都合良く聖書の誤りと間違いを指摘しても、立証するとなるとまた別問題です。


聖書の矛盾‐定義と解釈の問題
聖書の矛盾は伝統的ルールの論理と根拠を基にして分析しなければなりません。一見したところ、ある文節が他の文節と相反しているように思われても、さらに究明することでそうではないと分かります。最初に、常識ある懐疑主義者たちは矛盾についての定義を把握して同意しなければなりません。“法による立証、”つまり、“そうである”と“そうではない”が同時に存在することは不可能であるように、全ては論理的根拠を基盤にしなければなりません。たとえば、昼と夜が同じ時間と同じ地域にある筈がありません、もし聖書の主張が論理的根拠に違反するなら、既に矛盾は確立されました。しかしながら、この同じ論理的根拠の基盤を摘要すると、矛盾を抜きにして二つのメッセージの違いは存在するということです。

事実、裁判所で一人の証人が犯行現場でジャックとサムの二人を目撃したと言いました、また別の証人は犯行現場でサムだけを目撃したと証言したとします、双方の証言は矛盾してはいないのです。実際、裁判では、このような証言を互いに補い合うと判断します。このように聖書の文脈には食い違う主張の性質があります。たとえば、マタイの福音書でイエスは二人の目の見えない男に会ったと書かれています。マルコとルカの福音書では、イエスは一人の目の見えない男に会ったとだけ書かれています。またマタイとマルコによると、イエスはゲッセマネの園に祈るために御一人でそこに三回行かれ、ルカを読むと、イエスが御一人で祈りに行かれたのは一度となっています。証拠に関しての矛盾を法の規則に当てはめると、これらの聖句はなんら矛盾していることにはならないのです。従って、懐疑主義者たちは却ってくだらないリストを作り上げていることになります。


聖書の矛盾‐問題は文脈と翻訳
聖書のことばに矛盾があり相反していると見られるのは、単に複雑な聖書の翻訳が理由となっています。原文聖書(へブル語の旧約、ギリシャ語の新約)を分析すれば多くの問題は解決されるでしょう。聖書の翻訳も他の翻訳書が点検されると全く同じ方法で点検されます。全ての言語(特にへブル語とギリシャ語を含む)には特別なニュアンスの限界があり、的確に言い表すのは極めて困難であり、文中の歴史と原語の翻訳の際、誤解を生じる可能性もあります。

たとえば、使徒の働きの中では、ダマスカスの道程でのパウロの回心について二通り説明されています。使徒の働き9:7:“同行していた人たちは、声は聞こえても、誰も見えないので、ものも言えずに立っていた。”使徒の働き22:9:“私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。”(キング・ジェームス・バージョン)。一見した所、双方は矛盾しているように取れます、一方ではパウロに同行した者たちは声を聞いたと言い、また一方では声は聞こえなかったと言っているからです。ここでへブル語とギリシャ語テキストがその問題の解決となります。相反している動詞“聞こえた”(akouo)両方の文章を比較すると、使徒の働き9:7は所有格で、22:9のそれは、対格「文法上」の違いなのです。この所有格の矛盾を簡単に言うと、何か特別な音が耳に伝わってきた;とあり、何が聞こえたか否かを指示してはいません。これは対格(文法上)の概要であり、しかし、聞こえた、についての説明は、メッセージに精神的不安が含まれています。これを考慮した時、双方の文章が矛盾していないことは歴然とします。“(W.F.Arnat聖書には矛盾があるか?を参照、PP. 13,14 ) 従って、使徒の働き22:9ではパウロの同行者は何かを聞いたことについて否定していません;簡単に言うと彼らは、聞こえた何かを理解する事が出来なかった訳です。


聖書の矛盾-あなた自身で真剣に究明しましょう
多くの人々が聖書の矛盾の小さなリストにフォーカスし、神のことばを拒絶することは解せません。その上、聖書にある生命力と、調和と、歴史的真相と、考古学的証拠と、科学的洞察力と、他からの裏づけの記録と、また何百もの預言の成就(その一つ一つは、いかなる“宗教書”と比べてもはるかに上回っている)、にも拘らず聖書から遠ざかる人々がいます。そして、他の歴史書と平行してみると、聖書についての本文批評は確かにダブルスタンダードです。覚えていますか、“神は混乱の神ではなく…”(第一コリント14:33)と書いてあるのですから、もし何方かが聖書の矛盾と思われる箇所を示したなら、ちょっと時間をとって自分自身で真剣に究明しましょう。

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